人生の午後を生きる

シンクロブックのエッセンスをお届けします。

被災地からのメッセージ

 

元旦から波乱の幕開けになりました

 

私のボイジャータロットの師でもあり

セラピスト仲間の

ジャスミンさんこと高山和代さんの

ご実家は宮司さんの

弟さんがお守りしておりました

 

神社再建の矢先でした

皆様も既に

色々な想いをおもちのことでしょう

 

何が自分にできるのか

もどかしいお気持ちを持たれる方も

たくさんおられますね

 

現地の方からの発信です

超高齢化の日本が

これからどのように

災難に向き合っていったらよいのか?

本当に真剣に考えさせられますね

 

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まずは、多くの方に関心を持っていただき、またシェアをしていただき、本当にありがとうございました!皆様のその行動力が、力と影響になって珠洲市に還ってきていることを実感しています。

発災4日目、大きな変化がありました。外部からのレスキューによる救出作業が本格化すると同時に、いたる所の道を封鎖していた多くの全壊家屋瓦礫の撤去に、すでに疲労困憊のはずの町民消防団員が着手し、またブルドーザによる瓦礫撤去が始まり、街中の動線が確保されました。
そしてなんと、北陸電力関西電力の協力のもと高圧電機が避難所に配置され(感電リスク管理のため関西電力職員が24 時間管理体制)19時頃に電気がつきました。点灯した瞬間、避難者の多くが思わず大きな歓声をあげたことが、その感動を表していると思いました。
炊き出しが安定してできるようになったことで、近隣避難所への炊き出しの提供(おすそわけ)もできるようになりました。

本当に多くの皆さんが様々な形で支援をしてくれ、特に情報の共有の影響は大きく、みなさんのおかげで、外部支援が少しずつ入り目下の不安がほんの少し緩んだ傾向が見えたため、次は長期化するであろう避難生活を見越して、組織としての運営に目を向けることになりました。

発災直後より、避難住民が自ら「正院小学校地震災害対策委員会」を立ち上げ、朝夕のミーティングをしてきました。3日目の深夜からの4日目明け方まで、ロウソクの灯火下、各メンバー同士の話し合いを共有し、現状と今後と課題をピックアップしました。それらを本部長(公民館長)がまとめて、4日目朝のミーティングでは、早期の3日間を経て次のフェーズの課題に対してよりスムーズに働きかけるべく、今後の班体制を提案されました。
連絡班をトップに据え、以下に、医療介護班、炊き出し班、掲示班、物資班、ゴミ班、見回り班を配置することとし、各班の役割を明確にすると共に班リーダーを決め、その日に行う事を共有しました。このことにより、日によって関われるメンバーやリーダーが変わっても、避難所の安全と生活を守る組織の礎ができたように感じました。

特に、元・現役教員の方が提案された、掲示班のリーダーを中学生とし、子どもたちの頭と体を使わせる役割の提供(ルールや案内などの内容の原本を大人が書き、コピー機が使えないためそれを複製したりイラストを添えること。また食べ物の配布や配膳、高齢者と共に運動するなど)は、さすがだなと思いました。 他にも多くの方が自ら役割を見出し、それぞれができること(些細なことから専門的なことまで)を率先していく。その上、今日のテーマは「お互いに感謝しありがとうと褒め合おう」と。
まさに“自治”の力を実感し、地域住民のたくましさと優しさ、万能さを目の当たりにしています。

しかしながら、これで全てが思うように進むわけではありません。
本日、ここの避難所の屋外にいる方を除き、建物内に滞在する避難者約300人のうち、75才以上の方は54.4%です。まさに珠洲市の現状そのままが避難所に移行している。これがどんなことになるか想像できますか?
通常、主に地域や社会資源で対応している医療福祉を被災者同士の避難所でどこまで対応できるでしょうか?
深刻な問題は、特に深夜に多発します。ここは避難所であり、高齢者施設ではありませんが、求められることは高齢者施設(しかも150名以上の)相応なことです。
バルーンカテーテル留置などの医療的ケア管理、深夜の徘徊、尿便失禁、不穏、食事介助、認知症の対応、排泄や移動介助、加えて精神科関連の諸問題(処方薬切れ)など、山積する医療介護福祉問題。
今後、避難者も徐々に自分たちの仕事に復帰していきます。つまり、発災後付き添い家族間である程度対応していた事を、避難所に任せられると思っている方がでてきます(います)。ここに高齢者家族を残しておけば何とかなる、ケアマネに伝えればなんとかなる、避難所には震災前と同様に通常利用していたヘルパーが派遣されご自分たちは介護から手が離れると思い込んでいる避難者も多くいます。避難者の一般高齢者が、自身も被災者なのに医療介護福祉に協力されようとしていますが、限界があります。リクスもあります。

明後日以降、外部から医療や福祉支援団体が入るとも聞きました。私も明後日には平常の業務に戻ることになります。さて、24時間にわたり(特に夜間帯)、この高齢者率の避難所を誰がどのように運営するのでしょうか?外部支援団体は、この高齢者率の高い被災地に何ができるのでしょうか?地方行政は何をすべきなのでしょうか?

福祉避難所が早急に求められるフェーズにすでに突入しています。
一方、それをすぐに可能にできる人材も社会資源も環境も、平時はもちろんこの被災状況で叶えることは困難を極める現実。外部支援から入る多くの方にとって、おそらく未だ経験されたことがない「2040年問題」が、ここは珠洲ではデフォルトで真っ只中(それ以上の悪化状況)であり、現状は甚大な災害後が加わります。圧倒的な高齢者数とマンパワー不足、加えて被災真っ只中…

さてさて、みなさんならどうしますか?
何が考えられますでしょうか?